本条志信 ―学生時代―

1.



市街地の外れに、広大な敷地を有する進学校がありました。

中高一貫の全寮制男子校、校風は英国のパブリックスクールを継承しています。


【主として中・上流子弟のための私立中等学校の通称。寄宿制で、中世以来の古い伝統を有する】


但し学業については学校独自の奨学金制度を設け、貧富の差なく学べる環境を提供しています。

また校内建物には、最先端の設備が施されています。


そして、もっとも特筆すべきはその景観―――。


一歩正門に踏み入れば

溢れる花々に溜息が漏れ

目を奪われる匂い立つ芳香は

自然の匂いなれば

草木に帰り 空気に溶け込む・・・




「・・・花の匂いがする。父さん、僕ここがいい!ここにする!」

「ふっ・・やっぱりね」


時節は秋、この学校にも入学を希望する児童達が保護者同伴で受験前の下見にやって来ます。

この親子も、その一組です。


ここがいい!ここにする!≠ニはしゃぐ息子に、ふっ・・と漏らした微かな父親のため息。

しかし次の瞬間にも、父親の目は緩やかに細くなるのでした。


「お前ならきっとそう言うと思ったよ、志信」


志信と呼ばれた少年は、後にこの学校の教師となる人物です。


―本条志信・教職 指導部―


もっともその時の彼の思い描く未来には、教師という選択など露ほどもありませんでした。





春、新芽が芽吹く頃、大方の学校は入学式の準備に追われます。

中でも桜の木はその象徴です。

パンパンに膨らんだ蕾が一斉に花開くと、入学式の日を迎えるのです。


本条志信もまた、紺色の制服に身を包み桜舞い散る校庭にいました。


伝統は 一世紀の昔より変ることなく

規律乱し者は 未だ体罰を受く

しかし 痛みに涙するだけでなく

彷徨いし心をも救われれば 溢れる花々に

希望の光 安らぎを得る

匂い立つ芳香は 風に吹かれ漂い

髪にかすれば しばし足が止まる

パブリックスクール 緑の芝生 温室のバラ園

パブリックスクール 多感な少年たちの学び舎









生活の基本となる寮は、中等部二人一部屋、高等部一人一部屋があてがわれます。

入学式を終えた新入生たちも、各々の部屋で初々しいやり取りを交えながら荷物の整理に勤しむのです。



「あの・・ハサミ探してるの?よかったらこれ使って」

「えー、ありがと!さっきまであったのに、どこかに紛れちゃってさ」

助かったぁ≠ニハサミを受け取った少年の周囲は、散乱した荷物の山で溢れています。

肌着ひとつ仕舞うのにも、肌着、肌着・・・と、ボストンバッグの中身全てをひっくり返す始末です。

あまり片付け上手とは言えないようです。


「・・・本条君?僕、山下翔太(やました しょうた)・・・・・・
あっ、あ、ネームプレートでわかってると思うけど一応!これからよろしくね」

「あ、そっか、自己紹介まだだったよね。こっちこそ!同室よろしく!」

片付けに四苦八苦しながらも人懐こい笑顔を返す少年は、やはり本条先生でした。

こんなところは、昔からあまり変わらないようです。

一方、その人懐こい笑顔を受けて、山下少年の強張っていた顔も一気に解れました。

「あぁ、ホッとした。僕ね、ネームプレートで本条君の名前見て、とっても緊張してたんだよ」

「僕の名前?なんで?」

「なんでって!?僕たちの代表で答辞を読んだ本条君だよ!しかもAclssの委員長でしょ!」

「うん、そうだけど・・・」


この学校では、委員長はクラスによる選挙ではなく学校側がら選出されます。

事前にクラスの割り振りと委員長名が、各手元の携帯及びPCに通知されるシステムです。

中等部一年生のみ、入学試験の成績順で委員長が決められます。

つまり1番から5番までの生徒が、順にA、B、C、D、Eclssの委員長に割り当てられるのです。

「答辞にAclssの委員長って、入試テスト1番の人が選ばれるんだよ!すごいよ!」

「順位なんて問題一つ間違うだけで変わるよ?たまたまさ。
それで答辞読まされたり委員長とか。僕、小学校の時は学級委員にも、選ばれたことないのにさ」

「そっ、そうなの・・・。でも、でも!たまたまでも1番だよ!すごくない!?」

「翔ちゃん、オーバーだよ。入っちゃえばみんな同じさ」

「しょ・・翔ちゃん!?えっ?えっ・・まっ、まぁそれは・・同じ・・なのかなぁ!?」


いきなり十年来の友達のように名前を呼ばれた上に、普通にすごい≠ニ思っていたことを軽くいなされて、山下君は二重の驚きです。

そんな山下君の驚きをよそに、当の本人はもう別の事に気が向いているようでした。


「あー、お腹空いたなぁ・・・。ねっ、食堂行こうよ!夕食5時からだろ、もう開いてるよ」

「えっ、あ・・うん・・・。僕はいいけど、本条君まだ片付け途中じゃないの」


本棚の本は横積み、机の上の教科書は山積み、荷物の入っていた段ボール箱は片隅に転がったままです。

誘われた方の山下君の荷物は、すっかり綺麗に片付けられています。


「取りあえず、終わり!もう切りないし、これでいいや。行こ・・・ッ!」


苦手なことは、どうも面倒がる傾向にあるようです。

しかも頭の中はすでに食事モード、足元になど全く注意が向いていません。

立ち上がった拍子に、置きっ放しのボストンバッグに足の指が当たってしまいました。

「ッゥ〜、もう・・・あっ!!」

「何っ!どうしたのっ!大丈夫!?すごく痛いの!?」

「ハサミ!バッグの下にあった。使わなくなると出て来るんだね」

「・・・ほんとだね。じゃあ僕のハサミ・・・・・ちょっ!?」

ボストンバッグをベッドの下へ、ハサミはまたその辺に置くと、何事もなかったかのようにさっさと歩き始めました。


「ちょっと、待って!本条君っ・・・!」


新しい環境、新しい友達、高鳴る胸の鼓動(緊張感)の山下君に対して、同室の相手は驚くほど緊張感がありませんでした。









食堂は別館としてオフィスセンターに隣接しており、高等部・中等部・職員とスペースが分かれています。

コンビニ規模の購買部もあるので、食事時間以外でも別館入り口は多くの職員生徒が出入りする場所です。

館内はもちろん別館の外でも季節の花々が植えられており、近代的な建物に融合する景観美が造り出されています。

この時期は毎年、僅かな期間を惜しむように、日が落ちると校内の桜が一斉にライトアップされます。

それはちょうど彼らが別館の入り口に差し掛かったときでした。

日没と共に一度暗くなった周囲がわぁっ!≠ニいう歓声に包まれて明かるくなりました。

別館の外周を彩る春の花々の向こう側から、鮮やかに浮かび上がる桜の花びら。

風が吹くと花びらが舞い、強く吹くと花吹雪になるのです。

何十人かの生徒が入口のところで立ち止まっていました。

そのほとんどは、新入生です。

初めて見る幻想的な光景は、花に興味のない男子でも足が止まります。


「綺麗だね」

言葉を掛けたのは、山下君です。


「・・・うん」

桜を見つめたまま、本条志信が小さな声で頷きました。


( ・・・・・・・・・ )

その姿に、思わず山下君は二度見してしまいました。

それまでの緊張感のない気ままな雰囲気は、微塵も感じなかったからです。


「・・・どうしたの、翔ちゃん?僕の顔に何かついてる?」

「えっ!・・う・ううん、何でもないよ。食堂、混んでるかな!」

( 今日初めて会ったばかりなんだから、最初の印象だけじゃわからないよね )

そう思い直しながら、自分の早とちりに安堵の気持ちを覚えるのでした。


「僕、購買部に行く」

「えっ!?」

・・・一瞬だけですが。


「お弁当買って、桜の下で食べる」

「えええっ!?ちょ・・ちょっ・ちょっと!本条君!そんな・・・いいの!?勝手に・・・」

「大丈夫だよ、学校の外に出るわけじゃないんだから。校内なんだから」

「そっ・・そういう問題じゃないと思うけどっ!」





12歳 桜が吹雪く校庭で

真新しい制服の紺色も鮮やかに

高鳴る胸の鼓動と輝く瞳

僕たちは出会ったね

それから幾歳月の春夏秋冬を

共に過ごしただろう


健やかなときも 病めるときも

僕の友達










中等部、寮。各部屋の扉にはめ込まれた名前プレート。


【一年A class 本条 志信】

【一年C class 山下 翔太】



「こうして分類毎に別けて・・・よく使う参考書は机の方に揃えて置くと使い勝手がいいと思うよ。
辞書も英語と国語は必須たからこっちと・・・」

山下君が本棚の整理をしています。

自分の方はすでに片付いているので、無論もう一人の方の本棚です。


「翔ちゃんさぁ、すごいね」

「え・・・?」

「片付けだよ。短時間できっちり整理整頓出来るなんて、そっちのがすごいよ!」

「・・・ばかにしてるの、入試テスト1番の君が言うべき言葉じゃないよ」


山下君がきつい口調で言い返すのとほぼ同時に、本条志信は何も言わず部屋を飛び出して行きました。


しまった!≠ニ思っても、もう後の祭りです。

( はあぁ、つい言っちゃった。やだなぁ、気まずくなっちゃったなぁ・・・
あーもう、僕のばか。・・・だけど、あの場合は誰だってそう思うよ! )


さっきの1番云々は謙遜と捉えることが出来ても、さすがに自分と比べられては如何な山下君でも感情を抑えることは出来ませんでした。


( ・・・いやでも、僕の言い方もきつかったし・・・ 
どこ行っちゃったんだろう・・・帰ってこないよぉ・・・ )


最後の一冊をきちんと片付けて自分の勉強机に戻った山下君は、気まずい雰囲気を作ってしまったことを、心の中で自問自答していました。


(はあぁぁ・・・傷つけちゃった・・・・・・ )


「ただいま!翔ちゃん!」

バターンッ!とドアが大きく開いて、満面の笑顔と明るい大きな声。

「ひえっ!」

「はい、これ!本棚片付けてくれたお礼だよ!」

山下君の心の中の自問自答は全くの不要でした。


「これ、僕に・・・」

お礼だよ!≠ニ、手渡されたのは花籠でした。

机やベッドサイドに置くのに、ちょうど適した大きさです。

春の花々がふわりと可愛らしく飾られていました。


「あ・・ありがとう!・・・すっごくいい匂い!これを買いに行ってたの?」

「買ったんじゃなくて、作ったんだ」

「作ったの!?君が!?本条君、こんなの作れるんだね、すごいよ!・・・あっ」


またすごい≠ニ言ってしまったことに、はたっと口を噤みました。

そもそもこの言葉で、余計な言い合いや勝手な思い込みに走ってしまったのです。


「えへへっ。僕の家、花屋だからさ。いつも父さんが作るの見てるからね」


本条志信は照れ笑いを浮かべながらも、実に得意げです。


( ええっ!?そこは否定しないの!? )


構えていた分、思わず拍子抜けした山下君でした。



「ところでさぁ、もう9時だよ。翔ちゃん、シャワーどうする?順番、ジャンケンしよっか」

「ん?・・・ああ、僕はいいよ、先に使って。
明日の時間割とか教科書とか、もう一度確認しておきたいから・・」

「やったぁ!じゃ、おっ先〜!ホント、翔ちゃんて真面目だなぁ」

超ご機嫌の本条志信に一旦は拍子抜けした山下君でしたが、またしてもムクムクと不安が湧き上がってきました。


むろんそれは、手元の花籠に直結しています。


「あの・・あのさ、本条君!この花籠の材料だけど、どこから・・・購買部?」

「え〜っ?籠は僕の家のだよ。バスタオルとぉ〜、パンツ、パンツ、パンツ〜♪♪」

「家からわざわざ持って来てたの・・・?」

「うん。いろんな大きさの10個用意してたのにさ。
父さんに何しに行くんだって言われて、小さいのだけ3個に減らされちゃったけどね」

「・・・じゃあ、それじゃあ!この花はどこからっ!?」


「花〜?花はその辺りから〜」


と、返事が返ってきたところで、

―ピシャンッ!― 

シャワー室のドアが閉まりました。


「そ、その
(あた)りって!本条君!ほっ・・・その辺りって・・・」


その辺りは全て学校の敷地です。


花びらが渦巻のような黄色のラナンキュラスを中心に、ピンクやオレンジのガーベラ、カスミソウと赤い実のヒペリカム。


「・・・いいのかな?・・・勝手に摘んじゃっていいのかな?
あ、でも・・・花泥棒って罪にならないって、おばぁちゃんが言ってたし・・・」

山下君は自分に言い聞かすように、ベッドの脇に花籠を置きました。





さてそろそろ夜も更けて、各部屋の新入生たちも就寝の床に就く頃です。

しかしまだ小学校を卒業したばかりの彼らの中には、就寝の床に就けない生徒たちもいるのです。

これからの六年間を過ごす初めての夜、スタート前の高ぶる胸、緊張と不安、あるいはホームシックなど。

中等部一年生のレストルームは入寮から一週間、そういった生徒たちのために夜通し開放しているのです。



「ねぇ、本条君・・・本条君?・・・もう眠っちゃたんだ」

「ん〜・・まだ。でも翔ちゃんがしゃべりかけてこなかったら、たぶん後3分で眠れると思うよ」

「ご・・・ごめんねっ!本当に・・ごめんね・・・自分が眠れないからって・・・」


やはり、と言っていいのでしょうか。こちらの部屋では、山下君が眠れないようです。


「翔ちゃん?どこに行くの?」

「ここに居たら本条君の迷惑になるから、レストルームに行ってくる」

「何で?僕、迷惑って言った?」

「・・・だって、僕がしゃべりかけるから眠れないって・・・」

「違うよ。しゃべりかけてこなかったら、たぶん後3分で眠れるって言ったんだ」

「何が違うの、同じことだよ・・・」

屁理屈で眠れないのを茶化されたような気分です。

当然ながらムッと唇を噛み締める山下君に、本条志信は「あー、もう・・・」と、面倒くさそうに身を起こしながら答えました。


「翔ちゃん、僕たちこれから一年間同部屋なんだよ?
そのくらいで迷惑って思っていたら、一緒にいられないよ?友達なんだからさ」


何の
衒い(てら)もましてや思惑もなく、向けられた言葉。


友達なんだから


山下君の固く結ばれた口元が、微笑みとともに解けました。


「・・・それじゃあ友達として責任を取って。僕が眠れないのはきっと・・・本条君のせいだよ」


「えーっ、僕のせい?えーっ?えーっ?責任・・・責任・・・」


片や自由気まま、方やそれに振り回され。


全く相反する二人がこうして友達になれたのは、どちらもほんの少し相手を思いやる心があったからなのでしょう。



「あっ!それじゃこうしよう!・・・責任取ってこうだ!」

「ちょっ・・?ぅわっ・・わわわっ!」

「ふふっ・・・どう?これなら眠れるんじゃない?」

「狭っ・・・もう、よけい眠れないよ!」

本条志信が枕を抱きかかえて、山下君のベッドに潜り込んだのです。


「ん〜・・・いい匂い。ほら、翔ちゃんも深呼吸してごらんよ。こう目を瞑って・・・」

「えっ、深呼吸・・・・・・こう?・・・目を瞑って・・・」

もう≠ニ迷惑この上ない声を上げたにもかかわらず、まず素直にそうしてしまうところが山下君の振り回される要因なのですが。


目を瞑って深呼吸すると、さっき嗅いだのと同じ匂いが鼻孔を通して、胸いっぱいに伝わってきました。


「・・・あ、花籠。花の匂いだ・・・」


ベッドサイドに置かれた花籠から、仄かに香る花の匂い。

山下君のベッド周りに漂っていた匂いなのですが、改めて意識することはありませんでした。


「うん。明日授業が終わったら・・・僕も自分の分・・・作らなきゃ・・・」

二回・・・三回・・・深呼吸を繰り返す中で、本条志信の声がだんだん遠退いて行きます。


( 明日の授業の心配より、花籠なんだね・・・でもだからって、
・・・・・・その辺りからなんて・・・勝手に摘んじゃだめだよ・・・ )

山下君もまた答えようとするのですが、すでに会話になりません。


すぐ隣に感じる体温の温かさが、眠れないと言っていた彼の不安を溶かしてくれたようです。


ホームシックの寂しさや、これから六年間という長き学生生活への覚悟。


( 僕一人じゃない、友達がいるから大丈夫・・・・・・だい・・じょう・・・ぶ・・・・・・ )


安心が不安に勝ると、吸い込まれるように寝落ちてしまいました。


それは本条志信も同じです。

3分で眠れるなんて言っていた割には、ピッタリ山下君にくっついています。





12歳、まだ幼さの残る二人の寝顔を、ベッドサイドの花たちが優しい春の香りで覗き込んでいます。


気遣うように、見守るように。


彼らは夢の中で、花の妖精たちに出会っているかも知れませんね。






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